– はじめに –

人生とは自分の意思とは異なるエネルギーに時々導かれることがあります。
3.11がきっかけとなり、放射能汚染が進む東京を離れ2012年の秋に明日香村に移住しました。
実は、その半年前の金環日食の時に初めて明日香村を訪れています。
柑橘系の花の香りに包まれた村を歩き回り、最後に辿り着いたのが、聖徳太子(厩所皇子)が産まれた橘寺でした。
境内から見渡すと、のどかな風景の中にあちらこちらと人が歩く姿。何とも心地良い風景でした。
香りの中でもひと際、品の良い香りを見つけ、「いったい何の花だろうか」。
境内の中に「橘の花」の写真を見つけ、その花の存在を知ることになるのです。
東京に戻り、改めて明日香村をリサーチしました。
衰退しているこの村の再生は、「村花」である「橘」と「聖徳太子の社会的活動」がキーワードになると考え、その半年後に「飛鳥人」になっていました。

– アクションプログラム –

その1.なぜ、明日香村で「橘」なのか?

明日香村の「村花」は「橘」です。文化勲章のデザインにも使用されていますが、すっかり村の人たちに忘れ去られていました。
明日香村の中央には「橘寺」があり、厩戸皇子こと聖徳太子の生誕地といわれています。もともと父親の橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)の住まいでした。後の用明天皇です。境内には40本ほどの橘があり、参道にも数本が植えられています。橘舎が「橘」と言い始めてから、お寺では橘のお守りが販売されるようになりました。柑橘系の小さな実は食用にはならず、乾燥させた果皮は橘皮(きっぴ)という生薬で、実際には温州ミカンが使用されています。皇族など一部の人だけが霊薬として口にできましたが、一般人は触れることができなかったのです。そのため、残念ながら「橘」は日本の「生薬リスト」から外されています。

橘

この特別な「橘」に着目してみると、驚くほどの歴史的背景がありました。
垂仁天皇が家臣の田道間守(たじまもり)を常世国に遣わし、ようやく持ち帰ったのが“ときじくのかくの木実(このみ)” “非時香実” “非時香菓”といわれた橘でした。古事記や日本書紀にも記され、万葉集にも70首ほど詠まれています。生薬としてはもとより、中国最古の医学書「黄帝内経」の中に“橘井”という記述があり、ある井戸の水と「橘の葉」で多くの命が救われ、そこから、名医のことを“橘井”(きっせい)と呼ぶようになりました。現在、橘は糖尿病や癌に効果があるかどうか研究が進められています。

天皇陵の多い明日香村を象徴するブランドに相応しい「橘」
これで明日香村の代表的なものを作ろう!

橘

橘舎は高松塚古墳の東側の柿の放置畑などを開墾して、2013年「春分の日」に明日香小学校の野球部の子供たちとボランティアを入れて橘の苗木を植樹しました。
その後、石舞台古墳の近くと豊浦の耕作放棄地に畑を広げています。2013年6月に全国から橘関係者が明日香村に集まり、フォーラムが開催されました。
大和郡山のなら橘プロジェクトとは同時期にスタートしましたが、コンセプトは異なっています。
また、橘舎の高松塚の橘の畑の隣にケイミューという企業が追随して橘を育てています。
狙い通り、明日香村に橘舎が大きな一石を投じた事になりました。
橘は育ちが遅いことから、花、葉、果皮の香り分析をして、先に香り開発をすることにしました。
そうして、2015年橘の香水として「Saraオードパルファン」が限定300本で販売となり完売。
2016年から本格的に販売をスタートし、「明日香村ふるさと納税謝礼品」にもなっています。

その2.なぜ、明日香村で甘茶なのか?

橘舎がある豊浦地区は推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政を取ったところです。明日香村には日本初の仏教寺「飛鳥寺」(もとは元興寺)があり、推古天皇が飛鳥寺で最初に花会式(花祭り)を催しています。そこで注目したのは、花会式に飲まれる「甘茶」でした。甘茶は食品添加物の規制緩和が外れ、ステビアや甘草と同様に保存料として市場が大きく期待できることが分かりました。日本では長野、岩手が産地ですが、殆どが中国産を使用しています。これもまた、明日香村のブランド開発にピッタリと考え、2013年に下市の生薬問屋から苗を分けて貰いスタートしました。見た目はアジサイそのもので、挿し木で増えるのがメリットです。しかし、土地により甘さが出たり、出なかったりするというので心配しましたが、運良く「甘さ」が出て安堵しました。

農家の方やボランティアの皆さんのお陰で、2016に「花祭りの甘茶」を商品化することができました。こちらも「明日香村ふるさと納税謝礼品」となっています。

昔、天理教では親のいない子供が学費稼ぎに甘茶を育てていた歴史がありました。今は誰も育てていませんが、これからの時代は「ノウフク」で取り組めるようになればと思っています。
また、神仏に関わる植物を育てたいと「マコモ」にも挑戦しました。数年は育ちましたが、人手と水が足りず中止としました。昔は水の都でしたが、今の明日香村はどこにいっても水が足りず農家は苦労をしています。

飛鳥寺飛鳥寺

その3.自然の中で真の教育を!

植林風景

「世の中が飽和状態になった時こそ過去に学べ!」と考えています。
飛鳥時代の歴史的背景から何が学べるか。「聖徳太子伝歴」によると、日本の社会救済事業家として最初に登場するのが聖徳太子です。まさに、今、日本が求めるソーシャルアントレプレナーだったのです。
推古天皇の摂政で冠位十二階や十七条憲法を定め、遣隋使を派遣するなど大陸の文化を大いに取り入れました。
仏教を厚く信仰し、戒律の道場で教えを興す「敬田院」、貧窮孤児の住まいとして「悲田院」、身寄りのない病人を療養させた「療病院」、薬草を栽培し病人に施す「施薬院」を成し遂げていました。推古天皇の時代は、男性が狩猟に出ると、女性は「薬狩り」といって薬草を採っていた歴史があります。ちなみに光明皇后が同じように「施薬院」と「悲田院」を造り、さらに、それを引き継いだのが東大寺です。境内には、人知れず東大寺福祉療育病院があります。
明日香村でまさに現代版に変えて、これを復活させたいと今できる事から・・・生薬を植え続けているわけです。

植林風景

これまで修学旅行の民泊で400人以上の中・高校生を受け入れました。
日本の管理された教育の中で育った子供の稚拙さが目立ち、学校によりかなりの格差があることも分かりました。「何のために進学するのか?」「何のために生きるのか?」自らの体験談を通して生き方のコツを話します。大概、夜は悩み相談となりますが、農薬や種子法の問題、必要のないワクチン接種の問題なども話すと、しっかりと目線が上がり聞き入ります。
これから生き抜く子供達に何を手渡せるのか・・・移住してすぐに通信制高校を考え視察も入れましたが、条件が揃わず断念しました。
民泊の子供たちが将来戻って来てくれることを願いながら、真の教育の場を作りたいと考えています。

– アクションプログラム –

ボランティア募集

ボランティア

農薬を使用せず自然界のモノで乳酸菌やお酢、木酢液、ニームや月桃、橘のエキスを希釈して噴霧します。
ですから、安心して田んぼや畑にお入りいただけます。
豊かな自然の中で汗を流しながら、心身ともに解き放たれてみませんか。

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民泊

民泊

ようこそ明日香村へ
玄関のまねき猫が皆様をお出迎え!
体験型修学旅行や海外からの視察旅行など、橘舎は一般社団法人大和飛鳥ニューツーリズムなどを通じて宿泊を受け入れています。

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